部・終章〜未来へ

 















 小学校に迎えられたムクロジさんは、今も正門横で元気に育っています。

 移植先が小学校へと決まってからも、いろいろな困難がありました。その困難をひとつひとつ克服していく道筋は、「人が多くの生き物とともに生きる道」を模索するかのようであり、またムクロジがその象徴として人々の心の中に深く根付いて行ったかのように思えます。

 第二部を書き終えてから随分と時間が経ってしまいましたが、「終章〜未来へ」です。
(2006年12月5日)
正門横のムクロジ
(2006/11/23 撮影)



■子ども達に伝えたい■
 畑からの移植先は戸塚綾瀬小学校に決まりましたが、このムクロジの受け入れは、学校全体の教育活動とはなりませんでした。校長先生が非常に慎重で、移植が無事終わってからの報告にしたいとの意向からです。
 私がムクロジを助けたいと思ったのは、木の命を守りたいからだけではありませんでした。綾瀬川の土手にあったムクロジには、近隣の子ども達によって綾瀬川の自然を守る呼びかけの「看板」が掛けられ、そして土手は人々の手によってきれいにゴミが拾われていました。
 そうした人と木の暖かな関係を感じる、「美しい風景」全体が大好きだったのです。
 迎えられる小学校でも、子どもたちの心の中にムクロジが「ふるさとの風景」として残ってもらいたいと思っていました。その為にはムクロジの事を子ども達に知らせ、移植作業等にかかわってもらうことが大切と思っていたのです。子供たちがいつしか大人になり、自分の子供を連れて学校に来たとき、「この木は、お父さん(お母さん)が植えた木だよ!」とお話しできたら最高にうれしいことです。木は人間の世代を超えて生き続けます。

■図書ボランティアのお母さん方の活躍■
  戸塚綾瀬小学校にはPTAのお母さん方で組織する「図書ボランティア」というグループがあり、朝の自習の時間に、各クラスを回り絵本等の読み聞かせをしています。図書ボランティアの方々は、鈴木さんが読む「ムクロジ物語」の紙芝居を見て、大変感動してくださったとのことです。
 そして子どもたちにムクロジのことが伝えられないと知った図書ボランティアのお母さん方は、各学年の先生にムクロジの授業を行ってほしいと働きかけてくださいました。鈴木さんの「ムクロジ物語」の紙芝居と、私の「ムクロジのお話し」という授業が実現していきました。授業が組めない学年では、図書ボランティアの方々が、紙芝居の読み聞かせをしてくださりました。
 こうしてムクロジの移植は全校の子どもたちに伝えることが出来たのです。図書ボランティアの方々の協力で、ムクロジの移植に、心が添えられました。
 そのつながりは、周辺の小学校へと広がり、授業を行いました。お母さん方のネットワークは、ほんとうに素晴らしいものでした。

  
根の大きさをロープを使って表現 切り株になった子供たち

ムクロジ授業

■募金終了■
 ムクロジの移植工事には、約30万円という金額がかかり、その費用は学校側に負担させないという条件で受け入れてもらいました。そのため、「綾瀬川を愛する会」の幾島さんが呼びかけ人となり、募金活動を開始しました。
 戸塚の地域の方々や、先生方、畑に遊び来られた方、ほんとうに多くの方に募金していただきました。
 その後、移植工事は校長先生のご尽力で、地元戸塚地区の植木屋さん方が無償で行ってくださることになりました。私たちは、この時点で募金活動を終了しました。
 集まった募金額は、約17万円でした。募金をしてくださった皆さんには、心からお礼申し上げます。

募金趣意書

■突然の移植!■
 ほんとうに突然の出来事でした。私は早朝からの見沼田んぼの朝の自然観察会に参加していました。そこにベー子から電話があり、いま畑からムクロジの木を掘り取り、学校に向かったとの連絡が入りました。
 急遽学校に駆けつけましたが、すでにムクロジは校門横に植えられ、最後の水をあげられている時でした。
 地元の植木屋さんのお話しでは、夜の会議で集まった折に「明日やろう」ということになったそうです。寄り合いのときで、多くの植木屋さんが集まっていて、声が掛けやすかったようです。
 上手く時間が合えば、子どもたちに移植作業を見せてあげたかったのですが、残念です。校長先生も知らずの、急な作業でした。
 しかしムクロジはしっかりと、校門横に植えられました。作業をしていただいた、戸塚地区の植木屋さん方には、ほんとう感謝しています。ありがとうございました。

移植作業が終わりました(2005/2/27)

綾瀬川を愛する会代表・幾島さんのお手紙

■学校でのお祝いのイベント■
 無事学校にムクロジが植えられたことで、校長先生から、朝会で挨拶して欲しいとお話しがありました。
 私からは、子供たちに校歌のお願いをしました。それはムクロジが子供たちの歌声を聴くことで元気に根付いてもらいたい、そして移植作業は一緒に出来なかったけれど、歌をうたうことで、子供たちの心の中にもムクロジのことが思い出として残ってもらいたい・・・と思ったのです。
 当日は、なんとブラスバンドの生演奏で、全校みんなで校歌を歌ってくれました。ありがとう。ブラスバンドの演奏の中には、鈴木さんのお子さんの直子ちゃん、そして2年生には朋子ちゃんもいました。



■ムクロジ募金の使い道■
 ムクロジの移植が、地元の植木屋さんが無償で行ってくださったので、「ムクロジ募金」は、宙に浮いた形となってしまいました。私の希望としては、このお金の使い道は子供たちの未来につながるようなものにしたいと思いました。
 そこでムクロジが元はえていた場所に、具体的なイメージはなかったのですが、看板を立てたいと提案しました。その看板がムクロジのことや綾瀬川の学習活動につながるものにしたかったのです。綾瀬川を愛する会の方々にお話しし、中には反対意見もありました。しかし「子供たちの未来につなげよう」と、幾島さんの熱意で了承されました。

■看板設置■
 看板設置にも法律的にはいろいろな問題がありありました。看板の管理者を公的なところにする事、土手から離して設置すること等です。
 看板の内容も 幾島さんや水フォーラムの大石さんのアイデアで、ムクロジの事だけではなく、綾瀬川の自然も紹介する「綾瀬川マップ」になりました。そして管理者として川口市が引き受けてくださりました。設置場所も、川を望む一番良い場所で、県の当局の方に了承してもらいました。
 かんじんの看板の絵は、紙芝居を描かれた鈴木さんが引き受けてくださりました。その後も、時間をかけての下調べや、看板屋さんとの調整など、大変な作業でした。何度も歩いてマップの絵をスケッチするなかで、地元のお年寄りの方が、貴重な昔話や写真を見せてくださったそうです。看板の絵も紙芝居と同じタッチで、やさしい絵となっています。回りには綾瀬川の植物と鳥の写真がちりばめられ、看板の中央には、切られる前のムクロジの写真が載せられています。綾瀬川と人々をつないでくれる やさしい気持ちの込められた看板の誕生です!この看板が「綾瀬川と人とをつなぐ架け橋」となってくれますように・・・
 そしてようやく、設置の日を迎えました。 看板屋さんも、募金金額を超える工事となりましたが、募金金額丁度で納めてくださいました。本当にありがとうございます。





■ムクロジさんありがとう!■

 「ムクロジ物語」は完結しました。
 目を閉じて切り株となったムクロジさんを思い出すと、今でも胸がたかなり、心が熱くなる思いがよみがえります。ムクロジを残したい、緊張しながらも一歩踏み出し、その一歩を踏み終えると次の一歩をまた勇気を持って踏み出し、それは不安と緊張の連続でした。しかし私たち家族ではじめたその歩みも、願いを一緒にしてくれる人が一人二人と加わり、大きな行進となって行きました。そんな経験は人生で初めてのことでした。

 ムクロジさんは多くのことを、私たちに伝えてくれました。人間の社会はいろいろな立場・考え方の人がいて複雑ですが、それを乗り越えて人々は手をつなぎ、夢をつくれると教えてくれたのです。「大変なことがあってもやさしい気持ちでいること」・・・忘れそうになったら、またムクロジさんに会いにいきますね。

 看板を見た周辺の小学校から総合学習の依頼が来ました。そして、鈴木さんの紙芝居と私のお話しの「ムクロジ授業」は現在も声が掛けられています。移植作業は終わっても、ムクロジの心は明日へ未来へと続いています。

 日当たりの良い校門横ですくすくと成長しているムクロジさん。脇枝も出て、あと2年もすれば実を付けてくれるのではないかと思います。実がなったら、その実を使って、子供たちにたくさんの遊びを伝えますね。ムクロジさん、何百年も生き続けて、人と植物、いろいろな生き物が仲良く暮らせる世の中になるまで、見守り続けてください・・・・・

 ほんとうに、ありがとう!

(2007/2/2)

 

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